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ガイアの夜明け

山本久美(世界の山ちゃん)はバスケ選手?経歴など出身高校は?

ジュン
ジュン
どうも、ジュンと申します!

有名飲食店でピリ辛な手羽先が売りの居酒屋『世界の山ちゃん』はご存じでしょうか?

日本だけでなく海外にも店舗を構えるほど大きなチェーン店ですが、その社長は現在

山本久美さんという女性です。

実は山本久美さん『世界の山ちゃん』創業者の山本重雄さんのに当たる人です。

山本重雄さんの急死がきっかけとなり社長の座を任されたようですが、

素人であった山本久美さんがなぜ有名チェーン飲食店を経営できているのでしょうか?

その理由には学生時代から励んでいたバスケットボールの経験が生かされているようです。

そこでこの記事では山本久美さんの出身高校や学歴、バスケットボールとのエピソードなどについて調べてまとめています。

ぜひ最後までご覧になっていってください!

山本久美Wiki経歴

氏名: 山本久美(やまもと くみ)
旧姓: 塩澤久美
生年月日: 1985年3月
出生: 静岡県静岡市
出身: 愛知県名古屋市
最終学歴: 愛知教育大学卒
職業: 代表取締役
所属: 株式会社エスワイフーズ
家族: 子供3人

バスケットボール選手時代

小学校6年生からバスケットボールを始める。

名古屋市立守山中学校で本格的にバスケに挑戦。

一年生の時に全国優勝、後に三連覇。

名古屋市立向陽高等学校へ進学。

ここで選手としての活躍は終わります。

大学には愛知教育大学へ進学。

大学卒業後は名古屋市立猪高小学校で教師をしながらバスケットボール部の顧問として指導。

全国大会へ出るため、『昭和ミニバスケットボールクラブ』組織。

一年後全国大会優勝。

その指導の厳しさから生徒などからは『デビル塩澤』と呼ばれる。

2000年に32歳で教員を退職。

学生時代はもちろん教員となっても指導者として全国大会で優勝をもぎ取りに行くとはすごい経歴ですね。

どれだけ本気な思いでバスケをしてきたのか想像もつきませんがこのバスケでの経験が後の会社経営に役立っているそうですよ。

世界の山ちゃん創業者山本重雄さんとの出会い

始めての出会いは大学一年生18歳の頃のようです。

当時『山ちゃん』という居酒屋に友達に誘われていったのがきっかけで

この『山ちゃん』は後の世界の山ちゃんであり、山本重雄さんが店長でした。

しかしまだここでは交際にも至りません。

時は飛んで山本久美さん30歳で当時バスケットボールクラブを行っていた頃に

交際話の紹介によってふたたび山本重雄さんに出会います。

お二人は半年で結婚。

このように初めの出会いはお互い意識しておらずとも時がたち再び出会ったときには交際に至っていたという流れですね。

なんだかとても珍しいケースだと感じました。

山本重雄さん急死で社長に・・・?

朝5時頃、リビングで倒れている重雄さんを久美さんが発見。

救急車を呼び病院に搬送後大動脈解離が原因で帰らぬ人となってしまったようです。

取引先から久美さんが社長をやるように言われ、突然のことで混乱していたとのことでした。

しかし、経営の第一歩として『てばさ記』という通信のようなものを書き、

ここから自分のやる気を確認して経営に励んで行けたそうです。

バスケットボールはチームプレイであることからこの経験を活かし、

全員が一つとなってまとまり、それぞれが役割を果たすように経営していったとのことでした。

会社というのも個人の力で歩いていくものではなくバスケットボールなどのチームプレイであるということですね!

山本久美さんが経営では素人であっても周りの幹部の方々は仕事について知っているわけなので手助けをしてもらいながらであればなんとか頑張っていけそうですよね!

山本久美の出身高校は・・・?

名古屋市立向陽高等学校です!

バスケットボールを続けていたようですが、中学校などのようにガチではやっていなかったようで、

女子高生らしい生活を送っていたそうですよ!

理由は様々ですが山本久美さんは身長が低いということから選手には選ばれづらいということがあったようなので、

切り替えて高校生活を充実させるという方向転換をしたのでしょうね!

その他の学歴として

中学校は名古屋市立守山中学校

大学は愛知教育大学

というようになっています!

まとめ

Wiki経歴

氏名: 山本久美(やまもと くみ)
旧姓: 塩澤久美
生年月日: 1985年3月
出生: 静岡県静岡市
出身: 愛知県名古屋市
最終学歴: 愛知教育大学卒
職業: 代表取締役
所属: 株式会社エスワイフーズ
家族: 子供3人

小学校6年生からバスケをはじめ、

名古屋市立守山中学校、名古屋市立向陽高等学校までバスケをしていた。

愛知教育大学に進学し卒業後名古屋市立猪高小学校でバスケ部の顧問をしていた。

昭和ミニバスケットボールクラブ』を作り全国優勝へ導き、5年間続けた。

30歳で山本重雄さんに出会いわずか半年で結婚。

山本重雄さんは大動脈解離で亡くなられた。

山本久美さんが素人でも会社経営ができたのは社員の助けがあったから!

バスケットボールのようなチームプレーでそれぞれの役割を全うし会社を経営していった!

出身高校の名古屋市立向陽高等学校ではバスケ一筋ではなく、女子高生としての生活を充実させた。

以上がまとめになります。

バスケットボールの歴史ではご本人が全国優勝していてさらに指導した生徒まで全国優勝させてしまっているということでバスケにおいてかなりスゴイ経歴をお持ちであることが分かりました。

バスケでチームプレイに全力で励んできたからこそその連携で現在の会社経営が上手くいっているんですね!

世界の山ちゃん』コロナ過で売り上げも9割減などと悲惨な過去もあるようですが乗り切っていくことを祈ります!

それでは以上で記事の内容は終わりです。

ジュン
ジュン
最後までありがとうございました!